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みちのくアスリート:北秋田・フェンシング世界ベテラン大会準優勝・成田さん

 フェンシングの名門で母校でもある北秋田市合川高で監督や教頭を務め、2年前に定年退職。それは新しい選手生活のスタートでもあった。
 10月にフランスで開かれた世界ベテラン選手権に60歳代フルーレの部の日本代表として出場。「久しぶりに緊張した。ただ無欲で挑んだ」という19年ぶりの大舞台で、準優勝に輝いた。
 62年に開校した合川高校の1期生。フェンシング部に入ったのは、友人に誘われたのと「怪傑ゾロが好き」という理由だった。
 すぐに中心選手として活躍。国体などの大舞台も経験した。目標だった全国制覇には至らなかったが、駆け引きや戦術の奥深さにひかれて、指導者の道を目指そうと大学に進学。教師として母校に戻った。
 指導の方針は、情熱と信頼。その厳しさから「鬼の成田」の異名を取った。「褒めるだけでは選手は伸びない。しかるのと褒める割合は7対3くらいかな」
 8年目で悲願の日本一に。88年には史上初となる全国大会3冠を達成するなど、通算12回の全国制覇を成し遂げた。この間、代表チームの監督として海外も経験した。だが02年には教頭となり、定年までは管理職としての仕事に追われるようになっていた。
 退職して自由な時間ができると、わき上がってきたのは「現役時代に縁がなかった国際大会に出てみたい」という思い。動きは往時とはほど遠く、無理もできない。だが駆け引きのスポーツは、体力だけでなく経験がものを言う。「チャンスは今しかない」と鍛錬を積んだ。その成果が、高校・大学時代には経験できなかった全国大会優勝。さらにフランスでは、世界の強豪を破る活躍ぶりだった。
 次の挑戦に向け、練習を続けている。全国規模のベテラン大会は年3回。「年下の元気な選手と対戦するのが楽しみ。体と相談しながら世界の選手たちと剣を交えたい」と意気盛んだ。
 もちろん、競技人口増や知名度の向上にも目を向ける。「(北京五輪銀メダルの)太田雄貴君のおかげでフェンシングに注目が集まっている。子供やシニアの部などで、競技に参加しやすい環境を作りたい」
 かつては合川高校を中心にフェンシング王国と呼ばれた秋田。その復活に向け、剣を置く暇はない。【野原寛史】

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 ■人物略歴
 ◇なりた・まさし
 46年9月16日生まれ。身長166センチ、66キロ。北秋田市在住。県フェンシング協会長。「努力と忍耐」が座右の銘。母、妻との3人暮らし。次女はエペの部で日本代表にもなった成田絢子さん。(毎日新聞 2008年12月6日 地方版