フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ(はてなダイアリーより移行中)

車いすアスリート、臨床宗教師…「悲しみに寄り添う」龍谷大院生の藤田さん、決意新たに

車いすアスリート、臨床宗教師…「悲しみに寄り添う」龍谷大院生の藤田さん、決意新たに
 不慮の事故で下半身不随になった青年は、車いすフェンシングに生きる希望を見いだし、被災地や医療現場で心のケアを担う「臨床宗教師」になった。学生、僧侶、2020年東京パラリンピックを目指す障害者アスリート。そんな肩書や経歴だけでは、人々の苦悩や悲嘆に通用しない。「どう寄り添えばいいのか」。かつて人生に絶望した一人の人間として、これからも自問自答を続ける。(3/16、産経)
19歳で下半身不随…太田選手の言葉に光見いだす

 浄土真宗本願寺派の僧侶で、龍谷大大学院2年の藤田道宣(みちのぶ)さん(28)=大阪市淀川区。今年1月、同大学院が養成する臨床宗教師の1期生として講座を修了した。16、17両日には、国連防災世界会議が開かれている仙台市でフォローアップ研修を受ける。
 19歳だった平成18年夏。友人たちと三重県へ海水浴に行き、突堤から飛び込んだ際に頭を強打した。一命を取り留めたものの、首の骨が折れ、頸椎(けいつい)を損傷。まひした下半身は、二度と回復しないと宣告された。
 「いっそ死んでいればよかった」。自殺しようにも体を動かせない。自暴自棄になりかけたとき、高校時代に所属していたフェンシング部の先輩で、北京五輪銀メダリストの太田雄貴選手にこう励まされた。
 「車いすフェンシングという競技がある。やってみないか」。リハビリの目標ができた。

国際大会に出場…「傲慢だった」被災地では無力感
 半年間の入院生活で、競技に必要な上半身の筋力と体力は奪われたが、テニスや水泳を2年ほど続けて回復と強化に専念。2010年の広州アジアパラ競技大会を皮切りに、国際大会に出場する選手に成長した。
 両親や友人の支えがあったことに感謝した。今度は自分が誰かを支えたい。身体障害者になって苦しみ抜いた自分だからこそ、誰よりも人の気持ちを理解できるはずだ−。臨床宗教師になりたいという思いが、自然と芽生えた。
 しかし、東日本大震災仮設住宅で被災者の話を聞く「傾聴」の実習をするうち、自分が「傲慢だった」と気づかされたという。
「家族や自宅を失った方々の心の傷はとても深い。『あなたより僕の方がつらい思いをしてきた』とは到底言えない。何もできずに、逃げ出したくなる無力な自分がいた」

「微力」の価値…「自分の存在が安らぎになれば」
 僧侶として、相手にどう寄り添えばいいのか。そもそも寄り添うこととは一体何なのか−。昨年4月から9カ月間に及んだ研修で、絶えず模索してきた。
 指針としている言葉がある。「微力であっても、無力ではない」。研修主任の鍋島直樹教授に教わった。無力だから何もしないとあきらめるのではなく、行動して微力を出せ、というメッセージだと捉えている。
 被災者や障害者と向き合い、共感することは難しい。同じ気持ちにはなれないのかもしれない。けれど「自分という存在自体が安らぎの場になれれば」と、今なら思える。
 学生生活は残り1年。臨床宗教師としては、16〜17日の研修で自らの傾聴活動を振り返り、欠点を指摘してもらう。さまざまな現場で経験も積むつもりだ。車いすフェンシングでは2016年リオ、20年東京のパラリンピック出場を目指す戦いが本格化する。
 「どちらもあきらめず両立させたい」。誰かの生きる希望になれると信じている。

 【用語解説・臨床宗教師】宗教や宗派の違いを超え、被災地や医療現場などで人々の悲嘆や苦悩に寄り添う宗教者。布教や宗教勧誘は行わない。東日本大震災を機に東北大大学院が平成24年度から養成を始めており、龍谷大大学院や鶴見大などがこれに続いた。今年2月末現在の修了者数は東北大大学院で91人、龍谷大大学院で11人。