フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ(はてなダイアリーより移行中)

ヒーロー出現を生かせぬ古い組織

 (前略)それは、本当にフェンシング界全体に向けられたものなのか。
 フェンシングブームではなく、単なる太田ブームではないのか。
 北京五輪フルーレの代表選手は、太田と千田健太の2人だった。千田のは幻のモスクワオリンピック代表選手。父の分も、息子が悲願達成をーと、大会前には千田にも太田と同様に多くのメディアが集まった。だが、太田は銀メダル、千田は、トーナメント戦の初戦は突破したものの優勝したクライブリンク(ドイツ)に敗れた。
 帰国後、就職先が未定だった太田には、オファーが30数社にも及んだという。「高校時代からサポートしてくれた」と太田は森永製菓への入社を決め、涙を流しながら周囲への感謝を口にし、その姿を無数のフラッシュが照らした。
 対して中央大5年の千田はと言えば、就職オファーはゼロだった。来春に卒業予定を控えた現在も卒業論文の作成に取り掛かり、日本選手権に向けた満足な練習を積むことすらできずにいた。
 ここで結果を残せばと就職につながるかもしれないと、この日本選手権に最後の望みをかけていたが、2回戦敗退。太田と対戦するまでにも至らず、静かに2008年最後の大会を終えた。
 「せっかくオリンピックに出ても何も変わらず、中途半端なままでした」
 五輪での敗者の現実は、何も変わらないという事実である。
 千田だけでなく、オリンピックに出場しながらも、現在は練習相手のいない地方での練習を余儀なくされる選手も多くいる。太田の周りは確かに変わった。だが、フェンシング界や選手を取り巻く状況はオリンピック前と何ら変化はない。
 太田が成し遂げたのは、確かに偉大な快挙である。だが、そのヒーローの出現をうまく利用したフェンシング界全体の底上げや発展につなげる作業が必要なのだ。それを考え行動に移すのは太田というヒーローではなく、組織でなければならないはずだ。
 第1回のアテネオリンピック以後、フェンシング競技はメダル獲得まで112年を擁した。
 ロンドンまでは、たった4年しかない。

 太田の試合翌日、会場ではフルーレ団体戦と、エペの個人戦が行われていた。
 メディアの数は3人。
 1年前と同じだった。(スポーツタイムス通信社)


・・・まぁ、予想通りの展開か?
 けど、そもそもこういうチャンスを活かせる組織なら、今のような状況になってないって。