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ネクサスがチーム創設

 フェンシング:パチンコ店など経営のネクサスがチーム創設(毎日)
 日本フェンシング協会は16日、パチンコ店やインターネットカフェなどを経営する「ネクサス」(本社・群馬県高崎市)がフェンシングチームを創設し、北京五輪代表らを正社員として雇用したと発表した。
 ネクサスの星野敏社長は法大時代にフェンシング経験があり、北京五輪では男子サーブル代表の小川聡を支援。今回は新たに北京五輪フルーレ代表の千田健太、エペ代表の西田祥吾ら4選手とコーチ2人を正社員として雇用。選手は当面、仕事をせず競技に集中する。経費は人件費を含めて年間約5000万円の見込み。千田は「北京後は全く就職先が見つからず、一時はフェンシングをやめようと思いました。皆さんに感謝したい」と話した。星野社長は4月から日本フェンシング協会副会長を務める。

 千田健「五輪メダル取る」 フェンシング男子(4/21河北)

 北京五輪フェンシング男子フルーレ代表で気仙沼市出身の千田健太(23)が張り切っている。フェンシングチームを新設した娯楽施設などを運営するネクサス(本社群馬県高崎市)に入社。競技に専念できる環境が整った。大学を留年してつかんだ五輪だったが、その後は就職先が見つからず、競技を断念することも考えていただけに「ロンドンでメダルを取る」と決意を新たにしている。
 「ようやく就職先が決まり、これから頑張るぞという気持ちになった」。16日に東京都北区のナショナルトレーニングセンターで行われ記者会見で、千田はほっとした表情だった。
 気仙沼市松岩中1年で競技を始めた。モスクワ五輪代表の父健一さん(52)の指導で力をつけ、気仙沼高3年のインターハイ団体準優勝。中大でも、左利きから繰り出される得意のカウンターに磨きをかけ、日本のトップレベルに上り詰めた。
 北京五輪は2回戦敗退。試合後、「世界に通用することは分かった。4年後を目指す」と誓ったが、帰国後、卒業後の活動拠点が見つからないという問題に直面した。
 競技に未練はあるが、経済的基盤がなければ続けられない。「おやじができなかった五輪出場も果たした。それでいいか…」と、引退も考えた。
 気持ちが吹っ切れたのは健一さんの言葉がきっかけだった。「燃え尽きるまでやれ。就職できなくてもおれがサポートする」。教職を目指すためロサンゼルス五輪(1984年)を断念し、不本意なまま競技を離れた健一さんの後押しに、再び意欲をかきたてられた。
 昨年12月下旬、ネクサスから誘いを受け、2月に正式に入社を決断。担当は会社が運営するフィットネスクラブのトレーナーだが、練習に明け暮れる毎日になる。
 ロンドン五輪のライバルは、同い年で北京五輪銀メダルの太田雄貴。中3の初対戦から一度も勝ったことがない。「まだ3年ある。フェンシングの質を高め、限界まで挑戦する」と誓った