フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ(はてなダイアリーより移行中)

夢を諦めるとき。

 30歳、またそれに近い年齢で「プロを目指しているのでチームに入れて下さい」と来る人が現実にいる。しかも動きを視ると今までにプロを目指して必死でやって来た形跡もない人がである。
 どんなものかね?色々なことが考えられるが、途中で「目覚めた系」「真剣に目指せる環境にでくわさなかった系」「心に秘めていたけれど相手にされなかった系」タイプは本当にさまざまだけれど・・・。
 25歳も過ぎて夢を追いかけるのは自由であるし、夢は一生持ち続ける方が良い。しかしながら、二十歳前後の時のように夢ばかりを追いかけてもいられない年代になっているということも本人が気付かなくてはならない年齢でもある。また、周囲も気付かせてあげないと外を視ずにいつまで経っても夢を追いかけているだけになってしまう。
 世話になってきた自分の親も自分が歳を取るのと同様、親も歳を取って行く。歳を取って行く親に対して自然に気を向かわして行くのはサッカーを真剣に目指して打ち込んだ者、また自由に打ち込みさせて貰った者なら誰でも理解できるものであると思うし、またそうであって欲しい。世話になった分、今度は近い将来、親の面倒を見ていく気持ちと準備の意識は持っていかなくてはならないと思う。(後略)「日本サッカーの問題点」

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 これはサッカーの話だが、フェンシングに限らず、いろんなスポーツでよくある話。

 俺がフェンシングを始めた理由として、「参加チームが少ないので代表になりやすい」。ところが・・・宮城県は、全国でも1,2を争うほど高体連加盟校が多い。現在で8校、俺のときで12,13くらいか?隣の福島県なんて、1校しかないよ。
 大学でフェンシング続けたのは、高校で勝てなかった分、大学で(もしくは国公立大会で)勝てるかな、と思って。実際に、インカレ(個人で)行けるか行けないか、くらいまでは行ったけど。ただ、自分の代で国公立優勝できなかったのは、結局自分の力不足だし、今東北大学に入っても、インカレ個人戦に出れるかといわれたら、(東北学連のあった)当時よりかは敷居は高い(今は関東学連所属になるので)。
 しかし、大学4年のとき、東京都の大会(シニア選手権、フルーレ杯)に連れて行ってもらって、「あぁ、こういう世界もあるんだな」と、目から鱗

 社会人になって、フェンシングを続けたのは、「国体に出れる「かもしれない」と思った」のが大きい。結局、勝てなかったけど。例えば○○県とか××県なら・・・というのはあるが、さすがにそこまで(国体のために)仕事を選ぶ気はなかった。
 なんとかなるかな・・・と思って、全日本の南関予選とか、ナショナルチームの選考会とか、高円宮杯に出たりもしたけど、結局結果は出せず。弱いから。

 今にして思えば、高円宮杯に出たというのは、話のタネにはなるけども。

 じゃぁ、そもそもなんで今フェンシングを続けているかって?

 ・・・趣味の一環と、体力維持(運動をしておきたい)から、かな。。。
 今は、仙台フェンシングクラブで練習する機会があるので、させてもらってるけどね。

 しかし、最初のblog記事に話が戻るけど、才能のあるフェンサーが、経済的事情とかで(年齢的にも狙える状況なのに)世界を狙うことを諦める状況があるなら、残念だ。いや、確かロス五輪の代表だったかで、大学一年で出た人がいたようだけど、その選手のことは大学以降話を聞かないものでね。