フェンシングつれづれ(RENEWAL)

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インターハイ記事まとめ

・県勢8年ぶりの進撃 一関二・千葉
 女子エペで千葉春菜(一関二3年)が「自分でもびっくり」という快進撃を見せた。フルーレで争う団体戦に出場したい気持ちを封印して、エペ一本に絞り練習してきた成果を発揮。惜しくも優勝は逃したが、県勢8年ぶりの銀メダルに輝いた。
 千葉のスピードとバランスの良さを生かすため、県高校総体前に鈴木千晶監督から「エペに集中して、インターハイで賞状を狙おう」と勧められた。上半身の胴体部分が有効面のフルーレに対し、エペは全身が有効。素早い突きが要求され、フットワークや剣さばきなど必要な動きが異なる。
 3人しかいない3年生全員で団体戦に出ることは、最大の目標の一つだった。そこから抜けることはつらい決断だったが、インターハイでの入賞に目標を切り替えた。
 迎えた本番。予選リーグ、予選トーナメントとも落ち着いた戦いで勝ち上がった。勢いは止まらず、決勝トーナメント1回戦も突破。序盤にリードし、安定した戦いだった。
 準決勝の相手は、6月の東北大会で敗れている福島県の選手。右足とコテを狙う作戦で、コテが何度もうまく決まった。リードを奪うと、両者に点が入る「クー・ドゥーブル」(同時命中打)狙いで冷静に逃げ切った。
 決勝は「足を狙ってから剣を残して腕や胸を狙う」作戦が通用しなかった。足を攻めたところをうまくさばかれ、ポイントを失った。「スピードがあり、やりにくかった」と唇をかんだ。
 ピストを下りて、鈴木監督に「よくやった」と声をかけられると、一気に涙があふれた。決勝で敗れた悔しさ、東北大会7位だった自分が大舞台でここまでやれた充実感、仲間への感謝…。いろいろな思いが交錯した。
 「フェンシングをやってきてよかった。これからもずっと続けたい」(岩手日報)


・表彰台/聖霊女短大付(秋田)=フェンシング女子団体3位=
精神面の弱さ、接戦で露呈

 3連覇を目指したが、準決勝で涙をのんだ。「これまで接戦が少なく、比較的差をつけて勝ってきた。ピンチになると弱い面が出てしまった」。伊藤監督は精神面での弱さを敗因に挙げる。
 準決勝の序盤、個人フルーレ3位の高橋が勝って幸先のいいスタートを切ったが、安部、岡部が落として1―2に。2戦目の高橋が相手の2年生柳岡に、延長戦の一本勝負で敗れると、流れは取り戻せず、そのまま2―5で押し切られた。
 競り合いを経験しないまま4強入りしたのに対し、相手は接戦で勝ち上がってきた。
 「追い付かれ、逆転された時、どう気持ちを切り替えたらいいか分からなかった」と岡部主将。1年生から正選手の高橋も「1年生の時は0―3から逆転して勝った。一本勝負に勝っていれば」と自分を責めた。
 柳岡は、聖霊女短大付属中の出身。皮肉にも、高橋、安部、岡部の3人とも柳岡に敗れた。唯一の2年生安部は「気持ちを新たに一からやり直すつもりで取り組みたい」。挑戦者としての道のりが始まる。(河北)


・「島根のお家芸」復活 関係者一丸の勝利
 最終9戦目まで突入する大熱戦。安来の安部凌が一進一退の攻防を制し、富山西に競り勝った。
 安来は先手を許したが、長島徳幸と佐々木大で3勝して3―1とリード。追いつかれるも、長島が決めて4―3とし、優勝まであと一本に迫った。富山西の踏ん張りで再びタイに持ち込まれたが、安部が相手の攻撃をかわして胸に突きを入れ、終止符を打った。
 会場の視線はひたすらセンターピストで戦う2人に注がれていた。安来の安部凌と、富山西(富山)の島田恭亘。4―4のタイで迎えた団体決勝の9番手。この対戦で勝った方が頂点に立つ緊迫した場面で、安部が相手の攻撃を阻止して反撃する「コントルアタック」を仕掛けると、突きが決まったのを示す緑色のランプが点灯した。「頭で考えるより先に体が動いた」。雄たけびを上げる安部を中心に歓喜の輪が連なった。
 「才能がそろったチームではない」と渡辺大介監督。だが、持ち味の異なる3人の個性が融合し、累乗的に膨れ上がった。冷静なエース長島徳幸、緩急つけたプレーを身上とする佐々木大、トリッキーな安部。2、3回戦を順当に勝ち上がると、準々決勝では昨年覇者の愛工大名電(愛知)を撃破。準決勝の岩国工(山口)戦では、1ポイント落とせば敗退というピンチをしのいだ。
 3人総当たりの5勝先取で戦う団体。「普段以上にチームとして機能した」と長島。安部が負ければ長島と佐々木が取り戻し、佐々木が落とせば他の2人で補完した。試合中、指示を出し合うのも選手同士。渡辺監督も「自分が声を出すと選手もやりにくいだろう」と寡黙に徹して選手の自主性を重んじた。
 中国王者の看板を引っ提げて青森に乗り込んだが、部員数はメンバーの3年生3人と、1年生2人のわずか5人にとどまる。練習相手すらままならない環境のなか、日常的に胸を貸したのは同校OBや松江工OBだった。フェンシング部の永井宏尚顧問は「学校が異なっても島根のフェンシングは一つの家族。まさにオール島根で勝ち取った勝利だ」と胸を張った。
 前回制覇は、くにびき国体翌年の1983年までさかのぼる。個性が融合しての優勝だったが、くにびきから28年間つむいできた伝統の力がメンバーを後押ししたのも、また確かだった。(山陰中央)