フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ(はてなダイアリーより移行中)

インターハイの思い出話。

 千葉インターハイの総合開会式が、明日(8/1)に幕張メッセで開催されます。
(というか、この日記は総合開会式をTVで見ながら書いているわけだが)

 俺自身は・・・インターハイには全く無縁。

 高校2年(1985)の時は、県大会(個人F).0−5で負け、5−1で勝ち、もう一試合が5−1だったので1勝1敗が3名、ラップで落ち・・・(昔は、「プール内の上位2名」ということで上がりを決めていたが、今だと全体の中でラップを取るから、上がっていただろうな)。

 3年のときは、自他共に・・・もとい自分だけ認める優勝候補だった(自爆)。
 個人F:イマイチ銚子の上がらない中、1回戦、2回戦ともに2勝1敗で上がり(2回戦は2勝1敗が3人いて、そのとき落ちたのが仲の良かった育英の奴だったんであれだけど)。3回戦(32→16)は、俺以外2年生が2人いただったので、楽勝かと思ったが・・・。1勝2敗で落ち。

 個人E:4名プールで、1勝2敗(最初が負け。次が両負け。1−0でリードしてて、残り1分で同点に追いつかれて両負け。最後の試合は、勝たないと行けなかったので攻めに出て、確か5−3だったかな?で勝ち。結局、最後の試合に1本取られたのが仇になって、一本差で落ち)。

 団体:・・・3敗しましたが何か?(4−V5で負け)
 思い出したくもないよ。

 しかも、ちょうど俺の高校で、前後が、個人戦でインターハイ行ってるんだよね。(敬称略)
1985:個人S 村上 康展(準決勝敗退)
1987:個人S 阿部 敏之(準決勝敗退)
1988:個人F 早坂 恵一
1989:個人E 菅野 俊(さとし)
 仙台二高フェンシング部からのインターハイは、これが最後。

 で、その後は・・・大学3年(1990年)のとき、宮城県本吉町でインターハイがあったが、丁度国公立大会とぶつかったので(そもそも、役員・審判としても呼ばれてもいないので)行ってない(春の選抜は、二高の生徒引率して、大会後の練習試合に行ったけど)。

 だから、今までもインターハイには「行った」ことすらない。
 今年は松戸か・・・行けるかな?