今日は、太田選手を中心に、代表選手一行でスポンサー行脚(NEXUS,群馬トヨタ)だった模様。
フェンシング・太田選手に「大津市スポーツ特別賞」授与へ 世界選手権日本勢初優勝で
フェンシングの世界選手権で日本勢初の金メダルを獲得した太田雄貴選手に、出身地の大津市が21日、市スポーツ特別賞を授与することを決めた。表彰式などの日程は未定。
同市スポーツ特別賞は、国内外のスポーツ界で輝かしい成績を収め、大津市民に夢と希望を与えた個人・団体のアスリートらに贈られる。昭和63年度、市運動特別賞として創設され、その後改称された。
太田選手は、モスクワで開かれたフェンシングの世界選手権で今月16日、男子フルーレ個人の部に出場。個人・団体を通じ、日本勢で史上初めて優勝を果たした。
越直美市長は「ぶれない信念で頂点の戦いを追求した姿勢が実った。来年のリオ五輪でのメダル獲得を心から期待したい」とエールを送った。(産経)
フェンシング太田 完全復活までの苦難の道
2015年07月22日 16時00分
フェンシング世界選手権(モスクワ)男子フルーレ個人で日本人初の金メダルを獲得した太田雄貴(29=森永製菓)の苦悩の日々が明かされた。
21日に帰国した太田は都内で会見。リオ五輪に向け「優勝候補の一人として夏の舞台に挑めることを心からうれしく思っている」と喜びをかみしめたが、ここまでの道のりは険しかった。
ロンドン五輪後、1年間の休養を挟み、2013年10月の東京国体で復帰したが、当時を知る牧野講平トレーナー(35)は「最初はひどかったですよ」と振り返る。ロンドン五輪でフルーレ団体を銀メダルに導いたエースの肉体はブランクの影響で激変。連日の美食と飲酒がたたり、腹筋は消えうせ、ブ厚い脂肪が体を覆う状態だった。
「体重も10キロ以上多かったと思います。久しぶりに会った時はプニプニしていた。走れないし、動けないし、力はない。途中で『ちょっと、すいません…』と言って、トイレに吐きに行くこともありましたね。練習が終わり、動けなくて放心状態になっていることもあった」(牧野氏)
トップアスリートが恥をしのんで一からの出直し。酸欠状態になるほどの過酷なトレーニングをこなした。それでも、太田は「つらい」「しんどい」と叫びながらも、途中でやめることは一度もなかった。体脂肪率は10%以上も減少。この経験が金メダルの原点になった。
集大成と位置づけるリオ五輪後は、国際オリンピック委員会(IOC)への“就職希望”も明かした太田。現役を離れても、世界を舞台に闘い続けるつもりだ。(東スポ)
太田 キャスターと二刀流!「サンデースポーツ」で新境地
最強剣士が新境地を開く。フェンシングの世界選手権男子フルーレ個人で日本初の金メダルを獲得した太田雄貴(29=森永製菓)が、8月にNHK「サンデースポーツ」のマンスリーキャスターを務めることが21日、分かった。
マンスリーキャスターは4月にスタート。月単位で担当が代わり、7月はボクシングの村田諒太(29=帝拳)が出演している。太田は番組進行だけでなく、夏の高校野球などの取材を行う可能性もある。
この日、世界選手権が行われたロシアから帰国。試合後に16年リオデジャネイロ五輪での現役引退を示唆していたが、「リオで競技生活を終えるつもり。ただ、12年ロンドン五輪の時もそう思っていたので、少し含みを持たせていただきたい」とした。太田は20年東京五輪の招致活動でも奮闘しただけに、建設計画が白紙に戻った新国立競技場について、「国民が理解して造る新国立であるべき。現実的に問題があれば見直すべきでいま一度、幸せな心で五輪をつくっていけたらと思う」と話していた。(スポニチ)