フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ(はてなダイアリーより移行中)

元日の新聞各紙から

 いくつかフェンシング関連のものを。

出場は他力本願!? フェンシング男子フルーレ団体の意外な苦境
 2012年ロンドン五輪で銀メダルを獲得したフェンシングの男子フルーレ団体。現世界王者の太田雄貴(森永製菓)を擁し、来年のリオデジャネイロ五輪での金メダル獲得が期待されるのは当然だろう。しかし、実は現在、五輪出場すら微妙な立場におかれていることは、あまり知られていない。
 リオデジャネイロ五輪の男子フルーレ団体戦に出場できるのは8カ国・地域。15年4月4日から16年4月3日までに行われる国際大会の成績上位4チームと、5〜16位の各大陸最上位(4チーム)が出場権を得る。
 日本は現在、6位。アジア最上位の中国が4位のため、このままなら五輪出場権を獲得できる。しかし、仮に中国が5位に転落すれば、「5〜16位のアジア最上位」枠が中国に渡ってしまう。太田が「正直、他力本願な部分が強い」と語るのも、日本が勝つだけでは十分ではないからだ。
 太田はロンドン五輪後、20年東京五輪パラリンピック招致活動などで1年間競技を離れた。大黒柱不在の間、日本は国際大会の成績が低迷、他国の成長も相まってポジションを下げた。「チームでリオに行くために僕は戻ってきた」と太田。自身は個人戦でも金メダル獲得を目指すが、「リオを東京五輪に向けてつなげていかないと、フェンシングの注目度も下がってしまう」と、団体戦出場を最重要視する。
 15年11月に東京で行われたワールドカップ(W杯)で日本は5位に終わったが、長年勝てなかった強豪イタリアを撃破。団体戦デビューとなった18歳の敷根崇裕(東亜学園高)も好プレーを披露するなど、若手も出てきた。「(五輪に)出場すれば金メダルのチャンスも出てくる」と、太田も手応えを感じている。

 残るポイントの対象となるのは16年1月のパリと2月のボン(ドイツ)の2大会。順位で中国を上回るのは難しく、日本としては中国の好結果を期待しつつ、自身もアジア2位のポジションを死守しなければならない。「自分たちができるベストは、(現在5位の)米国と当たれば確実に倒すこと、また1つでも高い順位で(アジア3位の)韓国からの猛追を防ぐこと。これしかない」と太田。日本フェンシング界の運命をかけた戦いが始まる。(産経)

五輪がつなぐ夢
1964−2020/1 人生に競技重ね 4年後を見据え(その2止) /千葉
毎日新聞2016年1月1日 千葉版

シッティングバレーの加藤昌彦選手
4年後を見据え シッティングバレー・加藤昌彦選手(46)

フェンシング・三宅諒選手(25)

 2012年ロンドン五輪男子フルーレ団体準決勝、40対40で迎えたドイツとの延長戦。ライトに照らし出されたピスト(試合場)で、相対する2人の剣先がほぼ同時に突き刺さった。1分半に及ぶ審議の後、主審が日本の勝利を告げると、見守っていた三宅諒選手(25)は仲間に駆け寄り、抱き合った。東京五輪で4位になって以来、はね返されてきたメダルへの壁を打ち破り「銀」を決めた瞬間だった。
 市川市出身。小学1年の時、苦手な水泳をやめる口実が欲しくてフェンシングを始めた。だが、素人の父正博さん(65)が海外の教本ビデオで研究して作った独自の練習メニューで腕を磨くと、小学4年で全国大会準優勝。「勝利を期待されるプレッシャーが楽しい」とのめり込んだ。
 東京五輪で競技が地元開催されることに「千葉で生まれて良かった」と笑顔を見せる。しかし、喜んでばかりもいられない。日本のフルーレ団体はリオデジャネイロ五輪に出場できるかの瀬戸際に立つ。10代の起用で代表争いも激しくなった。「今も出場する30代(太田雄貴千田健太両選手)を追い越せないことがふがいない」と唇をかむ。
 ロンドンで一区切りとも思っていたが、29歳で迎える東京五輪のメダルを「欲しいタイトル」に掲げ、太田選手らに代わって日本フェンシング界を「引っ張りたい」と気を引き締める。「まずはリオに出ないと」。そう言い聞かせる視線の先に、4年後がある。
 ■幕張メッセで行われる競技
五輪:フェンシング/テコンドー/レスリン
 ◆パラリンピック車いすフェンシング/テコンドー/シッティングバレー/ゴールボール

アスリート座談会
リオから東京へ 白井、美誠「ともに飛躍」2016年1月1日、毎日

鈴木大地長官「若い世代に刺激を」
 南米で初めて開催されるリオデジャネイロ五輪パラリンピックが行われる2016年が幕を開けた。20年東京五輪パラリンピックの開催国となる日本の選手たちはその実力が試されるだけでなく、4年後に向けて改めてスポーツの力や価値を示すことが求められる。4年に1度の祭典を前に、アスリートたちは何を思い、何を目指すのか。昨年10月に創設されたスポーツ庁鈴木大地長官が、白井健三(19)=体操、高桑早生(さき、23)=パラリンピック陸上、千田健太(30)=フェンシング、伊藤美誠(みま、15)=卓球=の競技も年齢もさまざまな4人から大会に懸ける思いや、東京に向けたスポーツのあるべき姿を聞いた。【構成・田原和宏】

【リオから東京へ 4人が語った決意】
 鈴木大地 まずは簡単に自己紹介をお願いします。
 千田健太 阿部長マーメイド食品所属の千田健太です。フェンシング日本代表です。現在、リオに向けて3月までの五輪予選レースで海外を転戦しています。東京五輪まで続けるかどうか分かりませんが、今年はリオデジャネイロ五輪に向けて頑張りたいと思います。よろしくお願いします。

 千田 では、年上から。僕は前回、ロンドン五輪で団体銀メダル。今回は金メダルを目指していますが、世界全体がレベルアップしているので、出場権を獲得すること自体が大変です。2月まで残り2戦の成績で決まります。

 鈴木 今回は団体出場権もなかなか厳しいそうですね。

 千田 その通りです。ロンドン五輪の時はイタリアと中国の2強。この2カ国が世界を引っ張っていましたが、現在は米国、フランスのほか、ロシアも力を盛り返してきています。世界ランク1位から8位(日本は現在6位)まで、どこの国でも優勝できる力がある。今回は五輪出場権を獲得すること自体が大変になっています。世界全体がレベルアップしてきていると感じます。

 千田 フェンシングの魅力は駆け引き。それぞれの持ち味を生かして戦う。リーチの長い選手は相手が来る前に剣を突いて逃げたり、遠くから攻撃したり。小柄の選手は機敏に動いて隙を狙う。僕は後者。フットワークを使いカウンター攻撃を仕掛けるのが得意です。

 鈴木 試合中に相手と対面するわけですが、どこを見ているのですか。

 千田 全体ですね。マスクをかぶっているので、相手の目が見えない(ので表情が読めない)。全体を見ないと距離感もつかめないし、剣のある腕だけ見ていたら、いきなり間合いを詰められたりすると対応できません。それから、試合をする前にある程度、プランを考えています。攻めるのか、守るのか、プランを考えて試合に入ります。準備がすごく大事で、相手との勝負で何が一番有効なのかしっかり見極める。例えば自分が攻撃が苦手でも、攻撃に行く時は行かなければいけない。駆け引きの部分ですね。相手のことを相当研究します。

 千田 父が元フェンシング選手でした。モスクワ五輪の代表になったが、当時は米ソの冷戦状態で出場できなかった。僕が競技を始めた13歳から大学に入学するまで、父はコーチをしてくれた。最初は五輪を全く意識していなかったが、父親がかなえられなかった夢を実現して恩返しをしようと思うようになりました。初めて五輪出場が決まった時は本当に喜んでいました。五輪出場権を獲得するためには世界ランキングを上げなくてはならず、学生の時は親にかなりの負担を掛けて、国際大会を転戦しました。これだけ苦労を掛けたのだから何としても結果を出さなければならないという重圧もありました。何とか北京五輪に出場ができ、ロンドン五輪では団体で銀メダルを取ることができましたが、周りの協力、サポートなしでは競技を続けるのは本当に難しいと改めて感じています。

千田「リオが最後、故郷復興を胸に」

 鈴木 千田さんとは一緒に招致活動をしましたね。4年後の東京はどうですか。

 千田 リオを選手として最後の舞台のつもりで頑張りたいと思っているので、東京まで現役を続けている考えはありません。僕は被災地の宮城県気仙沼市出身なので、地域の街おこしのお手伝いをしてみたいと思います。

 鈴木 被災地を代表して戦っている意識はありますか?

 千田 もちろんありますね。地元の方からも応援してもらっているという感覚はすごく強いので、支えられている実感はあります。

 鈴木 それだったら、外野の意見ですが、やっぱり東京までやってもらいたいという希望がありますね。私の話で恐縮なんですが、私は2回五輪に出て、3回目も目指していたが、やっぱり4年が長くて。本当に頑張ったのは、五輪前の1年くらい。遅かったね。もう少しコツコツやっておけばよかったなと、いまだに思いますね。

 千田 キャリア晩年の方は競技に対しての楽しみ方は若い時と違いましたか?

 鈴木 年齢が上になっても、余裕がありませんでした。将来のことも考えなければならなかった。いまだに続けたらどういう結果を出したのかなと思う。やれるうちはやってもらいたいなというのが私の気持ちですね。高桑さん、東京パラリンピックです。

 千田 フェンシングは国立スポーツ科学センター(JISS)など最高の環境で練習をさせてもらっています。一方で、マイナー競技団体だけに潤沢な強化予算があるわけではありません。世界ランクを上げるには試合数をこなす必要があり、海外遠征などでも一部は自己負担という状況です。僕みたいに企業にバックアップしてもらっている選手は遠征に回れますが。

 鈴木 どうすればメジャーになれますか。北京もロンドンもメダルを取っていますよね。

 千田 競技人口も思ったほど伸びなかったです。競技を始める時にどうしてもお金が掛かるし、クラブも少なくて身近な場所にない。難しいところですね。

 千田 地元は(震災後)想像以上の光景でした。生活するのに必死な人々を見て、衣食住にまったく関係ないスポーツをしていること自体がちょっと違うんじゃないかと。それでも、ロンドンでは地元の方々が熱烈に応援してくれ、メダルを取ると子どもたちがすごく喜んでくれた。半信半疑で競技を再開したが、あの時は競技を続けてよかったと思いました。

パパ、強くなったよ あの日から5年へ、五輪めざす少女
2016年1月1日21時04分、朝日
 東日本大震災の被災地・気仙沼で、津波の犠牲になった父親との約束を果たそうと、4年後の東京五輪出場をめざす少女がいる。同郷の銀メダリストは、少女の成長を見守りながら、今年のリオデジャネイロ五輪を狙う。

■フェンシング代表めざす斎藤利莉さん(14)

 マスクをかぶると力がみなぎる。フェンシングは相手との駆け引き。あえて隙を見せる。相手が攻め込んできた瞬間、すっと剣を突き出し、ポイントを奪う。

 気仙沼市の体育館。仲間と剣を交える中学2年、斎藤利莉(りり)さん(14)が身にまとうのは、中学生の日本代表選手に許されたユニホームだ。日の丸を背負い、シンガポールで今月開かれる17歳未満の国際大会に向けた練習に打ち込む。(後略)

 ちなみに、記事には写真の脚注で、試合形式の練習の後、相手と握手をする斎藤利莉さん=2日夜、気仙沼市長磯船原、福留庸友撮影 とあるんだが、これ1/1の17時公開の記事で、どうやって1/2夜の写真を?!