フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ(はてなダイアリーより移行中)

フェンシングの逸材は「リケジョ」でもあった

 2014年8月に中国・南京で実施されたユース五輪。当時17歳だった宮脇花綸は160センチ、53キロを駆使し、フェンシング女子フレールで銀メダルを獲得。一躍、2020年東京五輪のメダル候補として脚光を浴び始めた。昨年12月の全日本選手権では準々決勝で敗退したが、自身初の8強入りを果たし「手応えをつかめた」と飛躍の1年を印象づけた。
 5歳上の姉が自宅近くのフェンシングスクールに通っていたことがきっかけで、5歳で始めたフェンシング。小学4年の時には全国大会で優勝。5年で日本代表入りし、海外の大会を経験するようになった。そして、男子400人以上、女子約300人が出場するフランスの大会で、中学2年の時に14歳以下の部で準優勝。中学3年時には17歳以下の部で優勝を果たした。この実績が当時のナショナルチームのヘッドコーチの目に留まり、活躍の場を海外に広げていった。
 フェンシングに集中するため、大学受験のない一貫校を目指し、慶応義塾女子高に進学。幼少期から勉強は好きで、特に数学と理科が得意とか。幼稚園の頃にはすでに数学の「マイナス」の概念が分かっていたという「天才」なのだ。だからか。「Number」には「話し始めてすぐに分かるクレバーさ」と紹介されている。
 といって、決して堅物ではない。自らのツイッターにはなぜか「花輪じゃないよ」と記されている。ネットには「宮脇花輪」で検索されるサイトが多いことで納得した。
 大相撲の宮城野部屋へ出掛け、横綱白鵬の稽古を見学。「力の使い方や立ち上がりの速さ、稽古への取り組む姿勢、力士としての意識…いろんなことに刺激を受けました」とツイッターに綴っていた。
 今年は16年リオデジャネイロ五輪の選考レースが本格化する。スポーツ紙によると、「リオに出て、20年東京五輪でメダルを取りたい。結果を出していきたい」と闘志を燃やす。(産経)

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