フェンシングつれづれ(RENEWAL)

フェンシングつれづれ

活況 日本フェンシング 心と技 しなやか太田流(朝日)

 日本のフェンシング界が活気づいている。北京五輪男子フルーレ個人銀メダルで一躍脚光を浴びた太田雄貴(森永製菓)を中心に、勉強会を企画したり、社会貢献活動に励んだり。そうした積極さが競技にも好影響を及ぼし、昨秋の世界選手権で複数のメダルを獲得し、広州アジア大会でも好成績につながった。外国人コーチを積極的に登用する日本協会の強化策との相乗効果で、来年のロンドン五輪に向けて視界は良好だ。

■普及活動・勉強会・ごみ拾い 社会に学び、結果

 太田は2009年に続き、自らの立案で小学生大会を企画した。昨年は11月27日に開催し、8人の日本代表経験者も参加。初心者も含めて143人の子どもたちに剣さばきを教え、競技普及に努めた。

 今春には選手会を立ち上げる。選手自身で情報を発信しようという狙いだ。すでに昨春から他競技の選手やコーチ、スポーツビジネス関係者などを呼ぶ勉強会を毎月1回のペースで開催。10月には東京都北区にある国立スポーツ科学センター周辺のごみ拾いなどの社会奉仕活動にも取り組んだ。

 自主的な取り組みのなかで練習以外のことにも積極的なのが他競技にない特徴だ。

 「勉強会やごみ拾いに出ようと思うだけでも意識が変わる。刺激にもなるし、実力向上が結果に出ている」。年末の全日本選手権男子フルーレ個人を制し、選手会長に就任予定の福田佑輔(警視庁)は、手応えを口にする。

■外国人コーチ増員、積極強化

 日本協会は北京五輪後、フルーレの男女と、エペ、サーブルに各1人の計4人の外国人コーチと契約。国立スポーツ科学センターでほぼ一年中指導する体制を敷いた。北京五輪前はウクライナ人のオレグ・マチェイチュク氏が男女フルーレを1人で指導していたのに比べると雲泥の差だ。女子エペの中野希望(のぞみ)(大垣共立銀行)は「以前は試合のときだけ集まったが、今はいつも皆と一緒。チーム力が上がった」と効果を実感する。

 強化の取り組みは1999年から始まった。海外遠征する選手に審判を同行させたり、国際フェンシング連盟に役員を送り込んだりして、日本の存在を世界にアピール。その結果、オレグ・コーチを紹介され、北京五輪で太田のメダル獲得に結びついた。

 日本協会の張西厚志専務理事は「以前は、協会も選手も五輪に出られるだけでよかった。今は、選手たちは太田に続けと必死になっている」。

■考える力 ひらめき生む

 「アスリートである前に人なんです」。企画で中心的な役割を果たす太田は言う。

 競技に専念すればいい、と考える選手は少なくない。だが、太田は人から学び、考えることで競技力が上がると信じる。小学生のころ、父に連れられて大人と練習したり、会話したりすることで知識を身につけ成長した経験があるからだ。勉強会を提案した理由は「自分の引き出しが増える。つまり、技のバリエーションが増える。常に考える癖がつくとひらめくんです」。

 北京五輪の銀メダルで一気に知名度が上がり、テレビ出演、他競技のメダリストとのイベント参加などを通じてフェンシング界以外の人と多く知り合った。その人脈を独り占めせず、勉強会の講師選びに生かしている。新たに培った人脈や知識を仲間と共有し、全体のレベルを向上させれば、自分の競技力も上がるし、自分が引退しても、フェンシング界は注目され続ける。「自分が自分が、でない選手の方が、まわりまわって結果を出せる」。そう信じている。

 フルーレ個人と団体で金メダル獲得を誓うロンドン五輪まで、もうすぐ1年半となる。重圧が少しずつ増していく中で、太田は小学生大会やごみ拾い以外の社会貢献活動も模索中だ。「競技間の垣根をぶちこわす作業をしたい。考えなくてはいけないことがいっぱいある」。好奇心は尽きることがないようだ。(朝日)