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太田雄貴、世界選手権初制覇!

 昨日の記事の続きだが。

【モスクワ共同】フェンシングの世界選手権第4日は16日、モスクワで男子フルーレ個人の決勝トーナメントが行われ、2008年北京五輪銀メダリストの太田雄貴(森永製菓)が決勝でアレクサンダー・マシアラス(米国)を15―10で破り初優勝した。
個人、団体を通じ、日本勢で史上初めての世界一となった。
太田は準々決勝で12年ロンドン五輪覇者の雷声(中国)、準決勝ではゲレク・マインハート(米国)をともに15―9で倒した。太田が世界選手権の表彰台に上がるのは銅メダルを獲得した10年大会以来。(JOC)

経験重ね、届いた頂点=太田、世界一で開いた扉−世界フェンシング
 悲願だった世界選手権の頂点。勝利の瞬間、太田はマスクの下から高揚した顔をのぞかせた。喜びをかみしめ、何度もガッツポーズを見せた。
 6月のアジア選手権を制し、勢いに乗っていた。「きょう取れないとおそらく一生取れない」。金メダルを目指し、緊張感を高めて臨んだ決勝トーナメント。持ち前のスピードを武器に、1回戦から早めに勝負を仕掛けて相手を寄せ付けなかった。世界6位のマシアラスとの決勝では、巧みに下がりながら攻撃をかわし、瞬時に反撃して先制ポイント。その後も接近戦で腕を返して背中を突くなど、多彩な攻めで主導権を握った。
 団体で銀メダルを獲得した2012年ロンドン五輪後に1年余り休養。東京五輪パラリンピックの招致活動に携わり、13年秋に復帰した。今年11月で30歳。本人は体力面では以前との違いも感じているが、「筋力やスピードではなく、フェンシングが分かるようになってきた」。指導するウクライナ人コーチのマツェイチュク氏も「年を重ねた分、経験が大きい」と話す。
 これまでの世界選手権では、日本勢の最高成績は銅メダル。表彰式では感無量の表情で君が代を聴いた。「優勝のタイトルにすごく意味がある。これを若い世代に引き継いでもらいたい」。エースが、日本フェンシング界の新しい扉を開いた。(モスクワ時事)(2015/07/17-09:09)

「日本人でも金メダル取れる」=太田の一問一答−世界フェンシング
 フェンシングの世界選手権男子フルーレ個人で、日本選手初の金メダルを獲得した太田雄貴が喜びを語った。一問一答は次の通り。
 −初めて頂点に立って。
 何とも言えない気持ち。(金メダルを)きょう取れないとおそらく一生取れない、人生で最後の世界選手権になるかも、という思いで挑んだ。最後の最後でタイトルを取れて本当にうれしい。
 −決勝では多彩な攻めが光った。
 攻撃で(ポイントが)取れなくても、防御で取るという練習はしてきた。試合の中で、随所で(攻めを)変えることができたのは非常に良かった。
 −銅メダルだった2010年との違いは。
 感情とかフィジカルだけで試合をするのではなく、しっかり相手のことを学んで研究し、やってきたこと(練習)を遂行することだけ愚直にやった。結果に出て、コーチ(マツェイチュク氏)が喜んでくれたことが一番うれしい。
 −金メダルが日本のフェンシング界にもたらすものは。
 日本人でも金を取れるということを証明したかった。それができたのはすごくうれしい。五輪で2番、世界選手権も3番(が最高)だったので、優勝にすごく意味がある。これを若い世代に引き継いでもらいたい。
 −13年に復帰して、以前と考え方に違いはあるか。
 勝ち負けではなく、フェンシングがうまくなりたいというところにモチベーションを置けるようになった。フェンシングを理解し始めたことに、わくわくどきどきしている。(モスクワ時事)(2015/07/17-08:59)

フェンシング太田快挙、関係者も歓喜2015年7月17日20時0分、日刊
 モスクワで開催されているフェンシング世界選手権で、男子フルーレ個人の太田雄貴(森永製菓)が日本勢で史上初の世界一となった16日、現地で見守った日本代表の関係者たちは歓喜に酔いしれた。
 決勝ではポイントが入るたびにそれぞれが一喜一憂し、太田の金メダルが決まると一様に表情を崩して喜んだ。太田が個人の銀メダルを獲得した2008年北京五輪で監督を務めた日本協会の江村宏二強化副本部長は「常に平常心で気持ちも安定している感じがした。彼が(上位まで)勝っているときのオーラが出ていた」と目を細めた。
 太田を長く指導するウクライナ出身のオレグ・マツェイチュク・コーチは「本当にうれしい。ユウキは勝ちたいという気持ちがとても強かった」と感慨に浸り、東伸行強化本部長は「ジュニアの子たちにも、やればできるんだとすごく励みになったと思う」と話した。

 ・・・やはり、世界一になると扱いが違うわ!読売の夕刊とか一面らしいし。